「アート・アーカイヴ・シンポジウム:関西地区アート・アーカイヴの現状と展望」の開催
2014年5月24日、あべのハルカス内の大阪芸術大学スカイキャンパスにおいて、JCRI、大阪新美術館建設準備室、大阪芸術大学の三者により「アート・アーカイヴ・シンポジウム:関西地区アート・アーカイヴの現状と展望」を開催した。
シンポジウムには、慶應義塾大学アート・センター教授 / キュレーターの渡部葉子氏、大阪芸術大学名誉教授の籔亨氏、京都市立芸術大学芸術資源研究センター准教授の加治屋健司氏、京都国立近代美術館情報資料室長 / 主任研究員の平井章一氏、大阪新美術館建設準備室 研究主幹の菅谷富夫氏を迎え、それぞれの登壇者による報告の後にパネルディスカッションを行った。
まず、慶應義塾大学アート・センター(以下、アート・センター)の渡部葉子氏はスコットランド出身の作家であるブルース・マクレーンを例に挙げ、アーカイヴ資料が時間の経過を経てそのあり方を変容させ得る可能性があること、またアーカイヴの創造的利用の重要性について論じるともに、アーカイヴへのアクセシビリティの向上や、アーカイヴをつなぐプラットフォーム形成の必要性についても述べた。
1972 年3 月11 日にテート・ギャラリー(現在のTate)で行われたブルース・マクレーンの回顧展の作品リストには既に完成した作品の他、未完の作品も含めおよそ1,000 点の作品名が記載されていた。2006 年に個展が開催された際には、1960年代にマクレーンが制作した作品の記録写真を投げるというライブパフォーマンス《Throw Away Piece》が行われたが、このパフォーマンスは既に1972 年の回顧展リストに用意されていた。ライブパフォーマンス中にマクレーンによって投げ捨てられた記録写真は投げられた瞬間、アーカイヴ資料から実際の作品へと生まれ変わった。このように、アーカイヴ資料は新たな芸術へと変容する可能性を秘めている。アート・センターが保有する土方巽アーカイヴにおいても、アーカイヴの訪問者の中に実際に舞踏を実践する人が多く、映像を見た後に作品を制作するケースが、その一例と言える。
また、アート・センターが関東にて連続3回開催したシンポジウムについても報告された。日本における芸術分野でのアーカイヴの重要性は認識されているものの、そのアーカイヴに到達するための適切な情報提供がなされていないのが現状であり、研究に資するための資料の顕在化、資料へのアクセシビリティの向上、ネットワーク化、プラットフォーム形成の必要性が強調された。
続く4名の登壇者からはそれぞれ関係しているアーカイヴ・プロジェクトの実践が報告された。大阪芸術大学の籔亨氏は、大阪芸術大学図書館が所蔵するウィリアム・モリス・コレクションについての紹介があった。ウィリアム・モリスは、詩人、工芸デザイナー、実業家、社会的思想家であり、晩年には印刷芸術を再考し自ら印刷工房「ケルムスコット・プレス」を開業し、近代の私家版工房の祖としても知られている。大阪芸術大学のモリス・コレクションの母体は、イギリスのモリス協会の有力メンバーの一人、コレクターのアーノルド・イェイツのコレクションであった。そしてその中には、芸術と社会主義に関するモリスの作品、モリスに関する著作、ケルムスコット・プレスとその関連資料など約500点が収められている。大阪芸術大学図書館のモリス・コレクションは、イェイツのコレクションに、新たにケルムスコット・プレス全53書目を加えて所蔵することでさらに充実したコレクションが形成された。
京都市立芸術大学芸術資源研究センターの加治屋健司氏からは、2014年4月に新設されたセンターの概要と研究内容が報告された。同センターは、芸術関連資料の蒐集・保存、アーカイヴの活用に向けた理論の研究を行う他、芸術大学として学生が作品を創造する際に役立つアーカイヴを「芸術資源」と捉え、教育の場におけるアーカイヴの活用を目指している。また、加治屋氏は日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ・プロジェクトに携わり、日本の美術関係者に聞き取り調査を実施し、成果をオーラル・ヒストリー・アーカイヴとしてウェブに公開する活動を行っている。同センターではその他、楽譜研究の手法を基盤とした記譜法による日本の伝統音楽や民族音楽の研究の実施、富本憲吉、辻本勇、森村泰昌などのアーカイヴ構築を進めている。
続いて京都国立近代美術館の平井章一氏による報告では、関西の戦後前衛美術資料の現状が述べられた。平井氏は東京で編集される
美術雑誌「美術手帖」、「みづゑ」、「芸術新潮」を例にとり、戦後美術史から地方の美術活動が欠落してしまっている現状を指摘した。また、現在、関西の戦後美術に関係する資料、特にエフェメラ(展覧会ハガキ、レジュメ、出品目録、会場写真、会報、新聞記事など)資料が、歴史的に貴重な資料でありながらも蒐集・保存されていない状況を指摘した上で、そうした資料を扱うことができるアーカイヴ的発想をもった人材の育成、また関西でも集合的に資料を保管できる施設設置の必要性を述べた。
大阪新美術館建設準備室の菅谷富夫氏は、萬年社の広告資料アーカイヴの構築について紹介した。萬年社は1890年に大阪で設立され
た広告代理店で、1999年に会社を解散した。残された資料を大学図書館や企業博物館などが求めたが、最終的に大阪新美術館建設準備室の前身である大阪市立近代美術館建設準備室に寄託された。当初、ポスター、企画書、書籍、CMのビデオ、テレビCM、ラジオCMのテープなど、多岐に及ぶ資料の整理は困難を極めたが、大阪市立大学、京都精華大学との共同プロジェクトが発足したことで資料の整理、及びアーカイヴの構築が本格的に開始された。これまでに図書資料、チラシ、和書、洋書の整理が終了し、テレビCM、ラジオCMがデジタル化された。現在、萬年社の資料は、ウェブサイト上にて「大阪広告史データベース 萬年社コレクション」として検索できるようになっている。資料の寄託、調査、整理、そしてデータベースの公開に至るまでの経緯を紹介する上で、資料整理のノウハウや予算、公開時における著作権の問題についても指摘された。
今日、アーカイヴが意味することは、単に資料の蒐集・保存ということだけではないだろう。アーカイヴは常に流動的であり、アーカイヴ内の資料同士、あるいは一見別々のものと思われるアーカイヴが繋がり、新たな意味をうむ芸術創造の契機ともなり得ることが述べられた。そうした貴重なアーカイヴを研究に資することが、一つの大きな役割と言える。これまで関東で3回にわたり実施されたシンポジウムでも顕在化した問題ではあるが、研究者がアーカイヴへアクセスするための情報を収集し、それを共有するプラットフフォームの形成が必要とされている。
JCRIも引き続き資料体の所在の蒐集を行い、その一助となることを目指したい。