名古屋市美術館、渋谷区立松濤美術館「ハイレッド・センター:『直接行動』の軌跡」展
カタログに掲載される日本語エッセイの英文翻訳出版への助成
2013年11月9日から12月23日にかけて名古屋市美術館にて、その後2014年2月11日から3月23日にかけて渋谷区立松濤美術館にて「ハイレッド・センター:『直接行動』の軌跡」展が開催された。
ハイレッド・センターは、1963年の「第5次ミキサー計画」を機に、三人の若き前衛芸術家であった高松次郎氏、赤瀬川原平氏、中西夏之氏により結成された前衛グループである。その名前の由来は、三人の姓の最初の文字「高(Hi)」、「赤(Red)」、「中(Center)」の英訳を並べたものというのが定説となっている。
彼らやその他の「構成員」あるいは「非構成員」と呼ばれるメンバーが実行した「直接行動」イベントは数多くあり、その代表的なものとして「山手線事件」、「ミキサー計画」、「大パノラマ展」、「首都圏清掃整理促進運動」などがあげられる。
1962年10月18日の「山手線事件」では、品川、有楽町、東京、上野と山手線上に芸術が突如として現れた。「コンパクト・オブジェ」と呼ばれる卵形のオブジェを持った中西が顔に白いドーラン塗った姿で電車に乗り、何食わぬ顔で読書をしたり、オブジェに懐中電灯の光をあててみたり、ホームに降りては、それを舐め回してみたり。高松はスーツケースから紐状のオブジェを引きずりながら歩き、駅の柱にその紐を巻き付けてみたり。これは芸術なのかそうでないのか、乗客は不安に感じながらもそれらを少し離れたところから観察した。
「第5次ミキサー計画」は、1963年5月7日から12日に新宿第一画廊にて開催された。高松は紐、赤瀬川は梱包と千円札(赤瀬川が複製した)、中西は洗濯バサミによる作品を展示した。高松により紐は椅子やコンセントに巻き付けられ、赤瀬川により椅子や作品が入った木箱は梱包され、拡大された千円札が壁に掛けられ、中西によって洗濯バサミが壁に群れをなした。展覧会初日のオープニングでは岡本太郎氏がテープカットを行うという場面もあった。
1964年10月16日の「首都圏清掃整理促進運動」では、東京オリンピックの最中の東京で、ハイレッド・センターの面々は銀座の並木通りに集まり、道路の清掃を始めた。掃き掃除とかそういう掃除の仕方ではなく、雑巾がけを始めたのだ。「清掃中」という看板を立て、敷石一枚一枚を丁寧に雑巾がけする姿を見た通行人は掃除をしているのかこれは何をしているのかと不審に思いながらも通り過ぎて行った。
彼らのこれら多くの「直接行動」は何だったのか。それは、高度経済成長期の直中で平穏な日常の中に芸術を持ち込むことで退屈な日常を撹拌しようという試みであったとも言われている。
結成50年を記念して開催されたこの展覧会では、「直接行動」を記録した文献資料や記録写真が展示された。また高松、赤瀬川、中西によるオブジェや絵画などの展示を通じて、ハイレッドセンターの活動を多角的に紹介した。
JCRIでは、展覧会カタログに掲載された高松、赤瀬川、中西によるテキスト及び、美術館学芸員、研究者によるエッセイ及びテキストの英文翻訳出版に対して助成を行った。国外でも関心が高まりつつあるハイレッド・センターの活動を紹介する機会となった。