「長船恒利 眼の眺め」展開催に際して出版された「眼の眺め 長船恒利資料集」への助成
2013年11月12日から11月24日にかけて「長船恒利 眼の眺め」展が東京にて開催され、「在るもの」、「Landscape」(1982-1989)、「traverse」(2001-2002)が展示された。
長船恒利(1943 - 2009)は写真、パフォーマンス、コンピューターアート、彫刻という芸術分野において活動した作家である。また、中欧モダニズムの研究者、地元静岡では芸術家のネットワークを形成など、芸術活動を積極的に進めた人物でもあった。
長船の代表作としてあげられるのが「在るもの」シリーズとなるが、この作品は1977年から1980年にかけて撮影された。シリーズは計8回、3年という短期間のうちに精力的に作品を発表した。「在るもの」では、日常の見慣れた地方都市の風景が撮影され、そこには通常背景としてしか捉えられず見過ごされてしまうような電信柱や看板、信号機などが中心におかれ撮影されている。またある時は、通常人びとの視線を集中させるために中央に配置されるはずの人物の顔が端で切断されてしまっていたりする。
ここで「在るものI」を発表した際に長船自身が語った言葉を引用するが、長船がいかにそれまでの写真の世界観を覆す写真の新たな可能性を模索したかがうかがえる。
「写真よお前はタダの記録なのか」を通り抜けて、写真は直接的に対象物がなければ写らない事と視覚の二相性(写す、プリントを見る)で知覚される事を写真固有の可能性として写述しよう。さあ思い入れの呪縛を振り解き、内回りの循環の「私」なんぞは犬に食われてしまえ。
一切の意味に先行して写真の開示する世界が表現し出す事を大胆に、そして大胆に。写真の歴史はあまりにも浅いから。
《在るもの・I》『今日の写真・展77』神奈川県立県民ギャラリー、1977.10.11 – 10.23
また、今回「在るもの」の他に展示された「Landscape」、「traverse」では、「在るもの」のように家や人ではなく山とダム、切り崩された山肌など自然と人が住む狭間・境界の中で、自然の中に取り残された人やものの痕跡や植物の植生が撮影されている。
長船の作品の中では、人やもの、自然が等価なものとして撮影されている。そこから先、何を感じ、どうとらえていくのかは鑑賞者へと託されているかのようだ。
JCRIは長船恒利の活動の軌跡を紹介する資料集の出版に対して助成をした。この資料集には、長船の写真作品の他、執筆テキスト、また長船作品に関する論考、年譜などが収録されている。長船恒利の辿った軌跡を多面的に照らし出すことのできる資料集になっている。